アミオ セルヴェル

Amiot Servelle

 

アミオ セルヴェルの歴史は、1920年にクレマン タショ氏がワイン造りを始めたことが起源です。

その後クレマン タショ氏の娘セシル女史と結婚したジャン セルヴェル氏がワイン造りに参加し、ドメーヌセルヴェル タショとしてワインを生産していました。

 

1975年にモレ・サン・ドニのドメーヌ、ピエール・アミオの次男クリスチャン・アミオとシャンボール・ミュジニーのドメーヌ・セルヴェル・タショの娘エリザベートが結婚します。

当主のジャン・セルヴェルには跡取り息子がないため、クリスチャン・アミオが1981年から義父の下で働き始め、栽培も醸造も義父から手ほどきを受け、1990年に名称を新たにドメーヌ・アミオ・セルヴェルとし、ドメーヌを継承します。

 

畑では2003年からビオロジック農法を始め、2008年にAB認証を取得しております。

 

畑の話

 

 アミオ・セルヴェルは複数の畑名付の一級ワインをリリースする数少ない造り手の一人です。アミオ・セルヴェルがシャンボール・ミュジニーに所有する一級畑は、筆頭の銘醸畑レ・ザムルーズ(0.45ha)を始め、レ・シャルム(1.27ha)、デリエール・ラ・グランジュ(0.26ha)、レ・プラント(0.39ha)、レ・フスロット(0.17ha)といずれも小さいものですが、それぞれを単独に仕立てています。

 畑が小さいため、当然生産されるワインの本数も少なく、いずれも人気がありますが、特に、レ・ザムルーズを筆頭とし、レ・シャルム、デリエール・ラ・グランジュが綺羅星の如く輝く三連星と言ってよいでしょう。レ・ザムルーズは最も有名ですし、レ・シャルムもシャンボール・ミュジニーで最大面積の畑で、多くの生産者が造っています。  ユニークなのは「納屋の裏」という意味を持つデリエール・ラ・グランジュで、聞きなれない方が多い畑だと思いますが、ジョルジュ・ルーミエで有名なレ・クラ、同じくジャック・フレデリック・ミュニエで有名なレ・フュエの下にある0.47haの帯状の小さなクリマです。

 ドメーヌ・アミオ・セルヴェルは、この小さなクリマ「デリエール・ラ・グランジュ」の半分以上を占める0.26haの面積の畑を持っていますが、他に単独で瓶詰めしてリリースする生産者はいませんので、デリエール・ラ・グランジュは非常に稀少で珍しいワインです。(かつては、ルイ・レミーが造っていましたが、2008年に相続の関係で手放しており、いまは所有しておりません。時々小規模なネゴシアンから出てくることはあるようです)